いま「風雲児たち」ワイド版と幕末編、合わせて50巻を一気読みしております。
今年(2018年)のNHK正月時代劇で、「真田丸」のキャストが再集合して話題になった「風雲児たち~蘭学革命編」の原作マンガということで関心を持って読み始めたのですが、これが面白いのなんの。
関ヶ原での敗者たちの「恨み」。
蘭学の萌芽と弾圧の繰り返し。
江戸初期から積もりゆく勤王思想のパワー。
探検者や漂流民たちの触れた西洋。
そして、江戸期を通じて何度もあった来航者に慌てふためきながら、確信犯的に何もしない幕府。
これら全てがマグマとして地下に溜まり続け、ペリー来航という発火点を機に一気に吹き出した幕末。
平賀源内や田沼意次、林子平に松平定信、前野良沢、杉田玄白、最上徳内、司馬江漢…
教科書には、徳川期のある一時期を彩る政治家や文化人などとしてのみ出てきますが、「風雲児たち」では彼らの活躍がすべて明治維新へと続く伏線として描かれています。
1981年連載開始(いまなお連載継続中)で、昭和なギャグが(特に前半のワイド版は)満載なのもアラフィフの私にはたまらないのであります(^o^;;
[PR] 風雲児たち「ワイド版」 →書籍(製本版)の売場へ →電子書籍の売場へ 幕末を語るマンガのはずが、物語は関ヶ原から始まります。 島津、毛利、長曾我部…生き残った敗者たち。鎖国の中で異国を知ろうとする、あるいは知らざるを得なくなる蘭学者、探検者、漂流者たち。彼らの活躍の1つひとつが、やがて訪れる幕末動乱への鍵となっていきます。 |
[PR] 風雲児たち「幕末編」 →書籍(製本版)の売場へ →電子書籍の売場へ 江戸期の風雲児たちの活躍を経て、いよいよ物語は幕末へ。 |
「風雲児たち」では、ペリーやハリス、プチャーチンたちと幕府との駆け引き、口を封じられていた外様大名たちが表舞台に登場してきた背景、大老に任ぜられた井伊直弼の葛藤、水戸徳川家が大奥に嫌われる理由といったことが、これでもか、というほど丁寧に語られます。
まぁ、月刊誌でこれをやるから、明治維新がなかなか近づかないわけですが(^o^;;;;;
ん~。
40年かけて連載され、作者みなもと太郎氏のライフワークと化している作品と比べてはいけないのかもしれませんが…。
何て言えばいいんですかね。
浅いなぁ…。
ヒーさま(一橋慶喜)の何がすごいのか。
本寿院はなぜ慶喜を毛嫌いするのか。
直弼が慶福擁立で強権発動できたのはなぜなのか。
なんでそんなに篤姫は西郷に肩入れするのか。
無知だった西郷が、どこでどうして幕府に警戒されるキーマンになったのか。
だいたい、西郷はなぜ月照を連れて逃げなきゃならんのか。
ぜんぶ「なぜ」の部分をすっ飛ばして、「知ってるでしょ、あとは脳内補完してね」って感じで仕立てられているから、もうとにかく消化不良。
しかも斉昭だの直弼だの慶喜だのに平気で直接絡んで話を進めるもんだから、裏工作だの人脈づくりだの、長州・水戸との交流・せめぎ合いだのといった、本来面白くなるべきところがまるで出てこない。
刺客を返討ちにして、人斬っちゃったわーっとか、
品川の酌女と連れて逃げてよとか、
ぼぼぼっと出てくる殿の霊とか、
そういうの要らないから。
その分を削れば、少しは話がつながるように創りこめるでしょうよ。
どうせ次回はあっさり薩摩に着いて、前回手配書が回って身動きが取れなくなってしまったことなど無かったことにされるんだろうな。
豪華俳優陣の無駄遣い。もったいない。
別に史実どおりでなくてもいいから、ちゃんと話がつながるようにつくろうよ。
異論は諸々ございましょうが、ワタクシ的には「中途半端なフィクション大河はイヤ」。
史実でなくても「ひょっとしたら、こんな人だったのかもしれない、こんなこともあったかもしれない」と思わせるのがベスト。真田丸なんかはまさにこれでしたね。
え~そんなのあるわけないじゃん、が増えるとつまらなくなる。
代表選手は「江」。
残念ながら「西郷どん」もここに入れてしまいたくなる。
フィクションならフィクションで「新解釈」とか言い訳せずに堂々とやれ、で突き抜けたのが「おんな城主直虎」。
これはこれで面白かった。なんというか、大河の新境地でしたな
いつか「風雲児たち」を原作に、大河ドラマやってほしいな~。
蘭学革命編同様、三谷幸喜さん脚本で。
でも「風雲児たち」もこのペースじゃ完結しそうもないし、無理な願いですかね。