• お散歩パンダ.com – お散歩パンダのおでかけレポート
    踏切のイメージ Microsoft Bing Image Creator にて作成

    山手線に乗ってぐるり一周すると、いくつの踏切を通るでしょうか?
    東京の鉄道好きなら喜んで答えてくれそうですが、実はこれ「年齢がバレる」トラップ問題です。

    「3つ」と答えた方。それは1980年代までの山手線。あなたはきっと私と同世代か、それより上の方ですね。

    田端-駒込間に2つと、池袋-目白間に1つ。私は1982年から85年まで、目白駅から歩いて10分の自宅から、駒込駅前にあった塾まで、山手線に乗って通っていましたから、地元のことでよく覚えています。間違いないはずです。

    やがて3つのうち、駒込駅のすぐ東側にあった踏切が閉鎖されます。「2つ」と答えた方は、この踏切が撤去された後の記憶をお持ちなのですから、おそらく私より数年から十数年若い世代でしょう。

    それにしても、あの踏切が撤去されたのはいつの話だったのでしょうか。検索してみたのですが、全く探しあてることができません。私の青春時代はGoogle先生でさえ答えの出せない大昔なのか、と少々ショックであります。

    そして2005年。
    池袋-目白間の踏切が廃止されて、とうとう残り「1つ」になりました。その最後の1つ、田端-駒込間の「第二中里踏切」も、2020年現在、北区とJR東日本とが改良協議をしているところだそうです。何年か後にはこの踏切も撤去されて、ゆくゆくは「山手線にも、かつて踏切があった」という昔話だけが残っていくのでしょう。

    というわけで、今回のお題は「東京駅から一番近い踏切」でございます。

    机上探索編

    その1 旅客営業路線で探してみよう

    都会の鉄道は立体交差化が進み、踏切を見る機会も少なくなりましたが、それでも先ほどの「第二中里踏切」のように、東京に残った踏切もあります。

    では、東京駅から一番近いのは、この第二中里踏切(基準点から6.52km)なのでしょうか。
    いや、とりあえず1つ、いや2つ、これより東京駅に近い踏切に心当たりがございます。

    代々木駅の西口を出て、山手線のガードをくぐった場所、埼京線や湘南新宿ラインが走る線路に2つの踏切がありますね。ここは明らかに第二中里踏切より東京駅に近いでしょう。

    2つのうち、東京駅により近いのは南側の「青山街道踏切」(基準点から5.68km)です。

    青山街道踏切を通過する湘南新宿ラインの電車

    これより東京駅に近いところに踏切があるか探して、なければこの「青山街道踏切」が東京駅から一番近い踏切ということになりますね。
    それを確かめるため、OpenStreetMapで基準点から5.68kmの同心円を描いてみましょう。

    円内にはたくさんの鉄道路線がありますが、「JRの新幹線・山手線・中央線・総武線・京葉線、東京メトロ各線、都営地下鉄各線、東京モノレール、上野動物園モノレール、ゆりかもめ、りんかい線、日暮里・舎人ライナー」の旅客営業区間については、少なくともこの同心円内には踏切はない、と言い切ってしまいましょう。

    え?言い切る根拠?
    私の経験と記憶だけです。ごめんなさい(確認するのが面倒なだけ…)。

    残るは「都電荒川線」「東武伊勢崎線」「京成押上線」「京成本線」「JR常磐線」の5路線です。さて、どうやって調べましょうか。
    ありがたいことに、どの路線もYouTubeに前面展望動画がたくさん投稿されています。1つずつ動画で確かめてまいりましょうかね。

    都電荒川線 →こちらの動画を参考にさせていただきました

    同心円に入っているのは、早稲田から次の面影橋の手前まで。わずか200mほどです。
    1か所、道路を横切るところがありますが、都電も信号に従って渡りますので「踏切」というよりは「交差点」といった方が良さそうです。なので「区間内に踏切なし」でよろしいですね。

    東武伊勢崎線 →こちらの動画を参考にさせていただきました

    同心円に入っているのは、浅草から2つ先の曳舟駅の手前まで。だいたい2km弱でしょうか。
    浅草駅を出て、最初は高架線ですが、次のとうきょうスカイツリー駅を過ぎると地上へ…。

    おっと、踏切発見!
    調べたところ「伊勢崎線第2号踏切」という名前だそうです。

    で、東京駅からの距離は?
    直線距離を測るのに重宝するのが、Mapionのキョリ測。2点をクリックするだけで、その距離を測ってくれます。さっそく測ってみましょう基準点から5.58km。代々木の青山街道踏切の記録5.68kmと比べてわずか100mですが、記録更新です!

    なお、ここでは2025年の完成を目指して立体交差化工事が進行中で、踏切が見られるのもあとわずかのようです。

    京成押上線

    起点の押上は地下駅。その先、地上に出てくるのが、先ほど見つけた「伊勢崎線第2号踏切」より(東京駅から見て)遠い地点なので、記録更新となる踏切がないのは明らかですね。なので、動画を確認するまでもないでしょう。

    京成本線 →こちらの動画を参考にさせていただきました

    同心円に入っているのは、京成上野から次の日暮里の少し先まで。地下区間を除いて1.3kmほどですね。動画で確認しましたが、区間内に踏切は無いようです。

    JR常磐線 →こちらの動画を参考にさせていただきました

    さて、最後にJR常磐線。同心円に入っているのは、起点の日暮里からほんの500mほどの区間だけ。
    この短い区間に踏切はあるでしょうか。動画で確認してみましょう。

    日暮里駅を出た電車は、右へとカーブして京成線の高架をくぐります。
    その高架下に… ありました!踏切です。
    その名は「金杉踏切」。こんなところに踏切があったとは知りませんでした。さて、記録は…?

    キョリ測、出動!基準点から5.50km。伊勢崎線第2号踏切の記録5.58kmと比べて、またまたわずか80mだけですが、記録更新ですね!


    以上で同心円内の探索完了。というわけで、

    東京駅から一番近い踏切(旅客営業路線で)
    JR常磐線金杉踏切 基準点から5.50km

    これで決まりですね。

    その2 貨物線も含めて探してみよう

    さて。
    例の「基準点から5.68kmの同心円」の中で、調べていない路線があります。

    それは、貨物線。

    円内にあるのは、田町から大井埠頭方面に向かう「東海道貨物線(休止中)」と、亀戸から南に延びる「総武本線越中島支線」の2つ。ここに、金杉踏切よりも近い踏切はあるでしょうか。探してみましょう。

    旅客営業路線と違って、YouTubeを探しても前面展望動画は見当たりません。まぁ乗れない路線ですからあたりまえですね。Googleのストリートビューを使って、道路と交差するところを1つずつ確かめていくしかなさそうです。

    まず東海道貨物線ですが、田町駅の南で東海道線から分岐して、東海道新幹線の大井車両基地への分岐線と並行して大井埠頭方面に向かいます。例の基準点から5.68kmの同心円内に入っているのは、分岐から京浜運河を渡る手前までの1kmほどですね。この区間は全て高架線で、踏切は無いようです。

    次に総武本線越中島支線。こちらは亀戸で分岐してから終点の越中島までの5kmほどのほぼ全てが同心円の中に入っているようです。しかも南側(末端側)半分ぐらいの区間は高架を降りて地上を走るので、踏切はたくさんありそうです。

    確認したところ、亀戸寄りから順に「幹線27号踏切」「締川踏切」「幹線3号踏切」「松尾工場前踏切」「新砂踏切」5つの踏切が見つかりました(航空写真で見ると、その先の越中島駅構内にも踏切があるようですが、関係者以外立入禁止のエリアなので対象外としましょう)。

    再びキョリ測出動。基準点から5つの踏切までの距離を測ってみます。

    うわぁ、これはまた僅差ですね。
    常磐線の金杉踏切が基準点から5.50kmでしたから、幹線27号踏切がわずか60mの差で記録更新です。
    というわけで、記録はこちら。

    東京駅から一番近い踏切(貨物線含む) JR総武本線幹線27号踏切 基準点から5.44km

    その3 営業路線以外まで範囲を広げると…

    ここまでは、旅客&貨物の営業路線のなかから「東京駅から一番近い」踏切を探してまいりました。
    では、営業路線以外(車庫への引込線とか)で、さらに東京駅に近い踏切はあるでしょうか。

    なんでわざわさ「営業路線以外」なんてカテゴリーを設けるのか。
    それは、様々なメディアでしばしば紹介され、それなりに有名と思われる「アレ」を紹介しない訳にはいかないから、というしかございません。

    「アレ」。そう、もうお気づきの方も多いでしょう。
    「地下鉄唯一の踏切」こと、東京メトロ銀座線「上野検車区前」踏切です。

    キョリ測による計測基準点から3.89km。築地や晴海、豊洲の貨物線がすべて姿を消した現代にあっては、ここより東京駅に近いところに踏切がないのは、検証するまでもなく「常識」で言い切ってしまって良いでしょう。

    ただ、上野検車区前の踏切は、電車が通らないときは線路の方が鉄柵で塞がれていて、いまひとつ「普通の踏切」っぽくないんですよね。なので「東京駅から一番近い踏切」には、私としては先ほどの幹線27号踏切を推したいのですが、無視するわけにもまいりませんので、最後にここも訪問することにしましょう。

    まとめ – 東京駅から一番近い踏切

    • 旅客営業路線で一番 基準点から5.50km JR常磐線金杉踏切
    • 貨物線も含めて一番 基準点から5.44km JR総武本線越中島支線幹線27号踏切
    • 全鉄道路線中で一番 基準点から3.89km 東京メトロ銀座線 上野検車区前踏切

    現地訪問編

    その1 JR常磐線金杉踏切(2019/5/23)

    JR山手線の日暮里駅と西日暮里駅は、500mしか離れていません。私の足でも走って3分。電車を待つ時間などを考えると、並行する道路を走った方が早く着けそうです。
    しかし、その「並行する道路」の途中に金杉踏切があります。走った方が早いかどうかは、この踏切を待たずに走り抜けられるかにかかっているといえるでしょう。

    いやいや、目的は山手線との競争ではございませんね。2019年5月、西日暮里駅から走らずのんびり金杉踏切へと向かってみました。

    西日暮里駅の東側(山手線の外側)に出て、線路に沿った商店街の道を進むと、ほどなく京成線の高架が見えてきます。高架をくぐった先に… 。

    ありました。金杉踏切ですね。
    走らずとも駅から3分。なんてあっさり。

    カンカンカンというお馴染みの警報音が鳴り、快速電車が轟音とともに走り去っていきます。
    おぉ~、東京駅から一番近い踏切。ちょっぴり感動です。

    都心に近い踏切が次々に姿を消す中で、金杉踏切がしぶとく残っているのは何故でしょうか。ちょっと理由を考えてみましょう。

    まず、ここを通る人はそれなりに多いようですね。
    踏切が閉じるたびに、両側合わせて10人弱ぐらいが開くのを待つぐらいの人通りです。日暮里駅、西日暮里駅双方への近道になっていて、ここが通れないと尾久橋通りのガード(三河島駅寄り)まで往復200mほどの回り道になりますので、存在価値はあるということでしょう。

    それならば、立体交差化するのはどうでしょうか。

    線路か道路か、どちらかをオーバークロス(高架化)させるのは、真上を京成線の高架がふさいでいるので難しそうです。

    そうすると考えられるのは地下への移設。しかし、踏切のすぐ北で線路は高架へと上がっていきますので、線路を地下化するとすれば日暮里駅(地上駅)から250mの間に地下に潜り、金杉踏切を過ぎたら一気に高架に上がるというジェットコースターばりの急勾配の連続になってしまうので現実的ではありません。前後も含めた連続立体交差(例えば上野-南千住の地下化とか)も選択肢としては想定できるでしょうが、踏切1つ解消するために巨額の費用をかけてそこまでやるか、という話ですね。

    最後に残るは、道路の方を地下に移す案。
    これはできそうですね。歩行者専用のトンネルを掘るのは難しくなさそうですし、車は通行止めにしたとしても、100m北に幹線道路である尾久橋通りがあるので大きな支障はなさそうです。
    実際、アンダークロス化して踏切を解消した例はあちこちにあるので、なぜここでそうしないのかはわかりませんが、結局は費用対効果ということでしょうかね。

    やがて再び警報機が鳴り、品川行きの電車が駆け抜けて行きました。
    15両編成、全長300mの列車が急カーブを走り去る様子はなかなかの迫力です。
    通行人も慣れたもので、いらいらした様子を見せることもなく、遮断機が上がるのを待って日暮里駅方面へ、あるいは西日暮里駅方面へと歩き去っていきます。まぁ私のような土地勘のない人が迷い込むようなエリアではありませんので、踏切待ちは日常の風景なのでしょう。

    帰宅後、金杉踏切が廃止されず今も残っている理由などわからないかと調べておりましたところ、2004年に東京都がまとめた踏切対策基本方針というのを見つけました。これによると、金杉踏切は2025 年度までに重点的に対策を実施・検討すべき「重点踏切」(都内394の踏切が指定)の1つに指定されているものの、示されている方向性は「交通の円滑化を図るための対策を検討していく/安全性向上などの対策を検討していく」のみで、踏切の存廃に関わるような計画は無さそうです。

    古い資料ですのでその後の対策の状況などはわかりませんが、とりあえずこの金杉踏切、当面は「東京駅から一番近い踏切」として君臨し続けそうですね。

    その2 JR総武本線越中島支線幹線27号踏切(2019/5/23,30) 

    さて、次は「貨物線も含めて東京駅から一番近い」幹線27号踏切です。

    折角見に行くのですから、列車が通るところを見たいですよね。
    でも、貨物線ですから時刻がわかりません。何か情報はないかと探しましたところ、Twitterで「新金線/越中島貨物線 列車時刻bot」なるものを見つけました。

    発車60分前とか10分前とかにつぶやいてくれるbot。凄いなぁ。誰が何のために…なんて考えちゃダメなんでしょうね。ありがたく参考にさせていただくことにしましょう。
    botの情報から推測すると、平日は毎日14:30頃に通る列車があるようです。正直、botの情報を信じて良いものやら確信が持てませんが、他に頼れる情報も無し。この時間に合わせて行くしかありませんね。

    2019年5月23日

    お昼から半日の休暇をいただいて、幹線27号踏切へと向かいます。
    職場のある豊洲から錦糸町行きのバスで20分「東陽六丁目」で下車。あとはぶらぶら歩いてまいりましょう。

    「今昔マップ on the web」より

    昔の地図を見ると、現在の「東陽六丁目」バス停あたりは一面の養魚池。明治の終わり頃、このあたりは金魚の養殖が盛んだったのだそうです(参考:「タウン誌深川」第254号)。その東、これから向かう幹線27号踏切のあたりは、当時の地図では一面の水田です。

    ついでに言えば、東陽六丁目バス停の所在地は、当時の住所では東京市深川区豊住。
    幹線27号踏切のあたりは、南葛飾郡砂村。
    いま歩いているちょうどこのあたりが東京市の東端で、その先は農村地帯だったのですね。
    当時の名残が何か残っていないかと探しながら歩きましたが、道の両側、どこまでも続くオフィスビルとマンション。農村だったころを偲ばせる「何か」を1つも見つけられないまま、やがて前方に踏切が見えてきました。

    おぉ、立派な踏切ですね。

    常磐線の金杉踏切とは違って、「幹線27号踏切」で線路を横切る道は、途切れることなく車が行き交う幹線道路です。
    その名は「葛西橋通り」。都心から浦安への最短ルートですので、カーナビに任せればこの踏切を通るルートに誘導されるケースも多そうです。

    東京周辺では幹線道路の踏切はあらかた解消され、遠出しても旅行先で走るようなバイパスは立体交差になっているところが多いですから(勿論、高速道路に踏切なんてありませんし)、踏切が家の近所の生活道路などにでもない限り、「最近は車で踏切を渡る機会などほとんどない」という方も多いのではないでしょうか。

    ひょっとしたら、教習所で「止まれ、見よ、聞け」を教わった記憶はあるけれど「免許を取って以来、実際に踏切を渡ったことなど一度もない」なんて方も最近は結構いらっしゃるのかもしれません。そんな方が、カーナビに導かれてこんな思いがけないところで踏切につかまって、しかも重量感いっぱいの貨物列車が目の前を通り過ぎたりしたら面喰らいそうですね。

    総武本線越中島支線の幹線27号踏切から南を望む
    総武本線越中島支線の幹線27号踏切から南を望む

    非電化、しかも単線。建物に囲まれてはいるものの、線路敷内にまで雑草が入り込んでいたりして、なんとものどかです。線路がゆるーく波打っているように見えるのも、のどかさに拍車をかけていますね。2つ先の踏切を都バスが渡っているので、辛うじて「ここも東京」とわかりますが、そうでなかったらどこか地方の県庁所在地の駅の手前あたりかな?とか思ってしまいそうです。JR四国の2700系あたり爆走させてみたら似合いそうですね。

    さてさて、早く着きすぎて暇なので妄想ばかりしてしまいますが、先ほどのbotによると、そろそろ列車が来る時間です。
    踏切脇に陣取って、カメラを構えて、と。

    ・・
    ・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・

    ねぇ。
    貨物列車、まだ~?

    旅客線ではないので、業務都合で遅れているのかもしれないよね… と、30分以上粘りましたが、待ち人来たらず。
    仕方ない、撤収!

    幹線27号踏切の最寄駅は、東京メトロ東西線の南砂町駅です。
    駅までは歩いて15分ほど。気を取りなおして、のんびりお散歩して帰りましょう。
    折角ですから、駅までの途中にある「締川踏切」と「幹線3号踏切」にも立ち寄ってみることにします。

    かつては幹線27号踏切の100mほど南を「元〆川」という小さな川が流れていたようです(参考:今昔マップ on the web)。2つ目の「締川踏切」はこの川の名前が由来なのですね。今は暗渠かそれとも埋められたのか、川があった頃の名残は見当たりません。

    先ほど調べたように、この辺りは昔は「東京府南葛飾郡砂村」。「砂村」が1921年に「砂町」になり、1932年、東京市に編入される際に南と北に分かれて「南砂町」になったのですね。東京湾沿いで砂地だったから砂村というわけではなく、このあたりを江戸時代に開拓したのが、越前鯖江の砂畑村からやってきた砂村新左衛門一族で、その姓が由来なのだそうです(参考:江東区Webサイト)。

    ということは「砂村さんの村」なんだから、「砂村」が発展したからといって「砂町」に地名を変えるのはおかしいんじゃない?なんて思ってしまいましたが、いまさら私が文句をつける筋合いはないですよね。先へ進みましょう。

    さらに南に500mぐらい進んだ先にあるのが次の幹線3号踏切です。ここを通るのは、幹線27号踏切にも増して交通量の多い永代通り。明治末期は、このあたりが波打ち際で、この先は海です。

    「今昔マップ on the web」より

    もはやこのあたりに海を想起させるものは何もありません。踏切から南、かつての沖合を遠く望んでも、視界に入ってくるのは巨大倉庫とゴルフ練習場。沖つ白波と、浜風に舞うカモメたちを脳内補完… しようと試みましたが、さすがにそれは無理というもの。そろそろ現実に戻りましょうかね。踏切に背を向けて、南砂町駅へと歩を進めます。カンカンカン… ん?

    振り返ったら、警報機、鳴っているじゃないですか!
    慌てて幹線3号踏切へと駆け戻ります。

    DE10ディーゼル機関車が単行で走り去っていきました。
    botの情報から想定していた時刻からもう1時間近く過ぎていますが、何かの事情で遅れていたのでしょうかね。ここを走る貨物列車はレールを運ぶ、いわば「業務用」で社外の荷主とはあまり関係がないのでしょうから、時刻もそれほど厳密ではないのかもしれませんね。

    実際に走っているのが確認できましたので、やはり幹線27号踏切を貨物列車が通過するシーンを見たくなりました。次の列車はかなり先ですので今日はもう撤退して、日を改めて再度見に行くことにしましょう。

    2019年5月30日

    1週間後。
    巡り合わせよく、この日も午後半日の休暇がとれました。

    先週と同じ時刻、幹線27号踏切で待っていると… 来ました!!

    おぉ~これ、これ。これが見たかったんですよ。
    東京から一番近い踏切、幹線27号踏切を通過する貨物列車。
    先週、幹線3号踏切で見たのと違って、貨車(レール運搬車)を10両も牽引する長編成。葛西橋通りをたまたま通りかかった、ちょっぴり運の悪い車や通行人を2分近く待たせて、悠々と走り去っていきました。いやぁ、迫力が違いますね。

    おまけ:かつてあった「もっと東京駅に近い」踏切

    幹線27号踏切で貨物列車を見送ったら、今日はもう何の予定もないので、ぶらぶら豊洲まで歩いて帰ることにしました。
    同じ江東区内、大した距離ではなかろうと甘く見て、何も調べずに歩き始めましたが遠いのなんの。途中で道に迷ったりしたこともあって2時間近くかかってしまいました。ふぅ~汗かいた。

    あと1つ橋を渡れば豊洲というところで、ちょっと面白いものを見つけました。
    よくある街角の地図ですが、修正液だかマスキングテープだか、何やら白いもので消されている部分がありますね。これは…。

    右下の線路記号のあたりは、先ほど見てきたばかりの越中島支線の終点、越中島駅です。
    ということは、この白く消されているのは「越中島支線の先にあった線路」ですね。

    かつて越中島支線の先にあったのは、晴海埠頭へとつながる貨物線「東京都港湾局専用線」の線路。
    でも東京都専用線は、1989年に廃止されたはず。ということは…?

    この看板、30年以上も前のですか!
    よくこんなものが、再開発著しい街角に残されていたものです。

    改めて地図をみてみると、現在はオフィスビルやマンション、学校などが立ち並び、整然と区画整備されているはずの豊洲三丁目が、ほぼ「何もない」状態。それどころか、豊洲駅すら見当たりません。有楽町線が全線開通し豊洲駅ができたのが1988年のことですから、この地図はそれより前の豊洲地区の記憶を残しているのですね。

    (追記)この地図看板、2020年には撤去されていました。鉄道が走っていた頃の名残りが、またひとつ失われたようで残念な気もしますが、この地図を見て迷う人もいるかもしれませんから仕方ないですね。

    地図の左上で、線路と道路が交差しています。
    線路は高架でも地下でもなく平面交差。つまりここには踏切がありました。
    基準点からの距離はおよそ3.5km。東京駅から見て、幹線27号踏切よりもずっと近くて、次に紹介する上野検車区前よりもさらに近いところに踏切があったのですね。

    私は2002年から豊洲で勤めています。その頃には踏切はもう撤去されていたものの、まだ町のあちこちに廃線の痕跡が残っていました。まさかその後これほど徹底的に再開発されるとは思わず、ほとんど写真に残さなかったのが悔やまれます。

    過去写真のストックを探してみたら、1枚だけ、豊洲埠頭を撮った写真が見つかりました。
    ひどい画質ですね。当時、たぶんガラケーで撮ったものです。

    写真の左下、緑のなかにゆるやかなカーブが見えますでしょうか。ここは東京都専用線「深川線」の跡。この頃には既に線路は剥がされて駐車場になっていました。その先をたどると、右にカーブしたその先にも何となく線路跡に見える何本かの筋が見えますね。このあたりは2000年まで続いた石炭埠頭です。きっとここで船から列車へと石炭が積み替えられ、越中島支線を通って各所へと運ばれていったのでしょうね。

    今ではきれいに再開発されて、街中を歩いても当時を偲ぶものはもうほとんど見当たりません。

    そんな中、唯一「当時のまま」残っているのが、晴海運河に架かるこの鉄道橋です。
    ここ20年、再整備して観光用の歩道橋にしようなどといった話が出ては消え、出ては消えしている気がしますが、どうなるんでしょうね。昔を語る貴重な遺構としてこのままでも良いじゃないかとも思うのですが、耐震性のことなど考えるとそういう訳にもいかないのでしょうかね。

    ちなみに「当時のまま」とは言えないけれど、貨物列車が走っていたことを偲ばせる遺構は、ほかにも豊洲周辺にいくつかあります。それはまたいつか、稿を改めて紹介したいと思いますが、なんせ遅筆なものでいつになることやら。

    すみません、話がすっかり脱線してしまいました。
    そうそう、踏切の話でしたね。次にまいりましょう。

    その3 東京メトロ銀座線上野検車区前踏切(2019/3/10)

    さて、これで最後。
    全鉄道路線中で東京駅から一番近い、東京メトロ銀座線 上野検車区前の踏切です。

    JR上野駅の入谷口。
    コンビニの角を曲がって首都高の下をくぐったら、もう踏切が見えてきました。
    駅から3分。なんて近いんでしょう。

    ビルの谷間。
    知らずに通りかかったら、なんでこんなところに踏切が?と驚きますよね。

    このとおり、線路は頑丈そうな柵で守られております。
    線路は立入禁止。それはどこの鉄道でも同じですが、銀座線はいわゆる第三軌条(線路の脇にある3本目のレールに直流600vの電気が流れている)方式で感電事故を起こす危険があるので、普通の踏切よりも厳重に安全対策が施されているのですね。

    この線路は、銀座線の整備拠点である上野検車区へとつながる引込線です。都会の真ん中、工場や車庫として使うなんてもったいない、オフィスビルにでもすれば大きな収益が上がるだろうに、などと思わないでもありません。でも、銀座線は郊外に線路がつながっていないので、こういう整備拠点も都心近くに置かざるを得なかったのですね。新しい地下鉄であれば、大江戸線のように車庫も整備工場も地下に造ってしまうのでしょうが、銀座線が開通したのは昭和初期ですから、鉄道を地下から出さずに完結させるのは技術的にも難しかったのでしょう。

    踏切から検車区の中を覗いてみれば、出番を待つ銀座線の電車が並んでいます。
    動く気配は…ありませんね。

    銀座線には「上野駅始発・終着」の電車がありますので、このうちで「上野駅折り返し」ではないものを時刻表で探せば、その電車は踏切を通って検車区に出入りするのだろう、という推測はできます。
    でも、時刻を調べて改めて見に来るのは、やめておくことにします。既に有名な踏切ですし、改めて動画だけ撮りに行くこともないでしょう。

    この踏切を通る電車は、YouTubeにも多くの方がアップされていますから、ご関心のある方は「上野検車区 踏切」で検索してみてくださいませ。

    東京駅から一番近い「踏切」これにて終了です。
    最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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