• お散歩パンダ.com – お散歩パンダのおでかけレポート
    収穫期の田んぼイメージ Microsoft Bing Image Creator にて作成

    田舎にあって、東京にないもの。
    一番に思い浮かぶのは、なんといっても田んぼや畑といった農耕地でしょう。

    とはいえ、「畑」は東京にも結構あります。事実、わが家(東京都練馬区高松)の玄関から20mも離れていないT字路の先には広々とした畑が広がっていて、ネギやニンジン、ブロッコリーといった野菜が、都会では忘れがちな季節感を呼びさましてくれます。

    一方で、田んぼ(水田)はどうでしょうか。
    元々、東京の西に広がる武蔵野台地は稲作には適しておらず、江戸の昔から田んぼがあったのは台地の下、荒川や江戸川流域など、水を得るのが容易なエリアに限られていたようです。板橋区の高島平などは、団地ができる前の1960年代後半までは一面の田んぼだったそうですね。しかし、今はもうそれを偲ばせるものはどこにも見あたりません。

    1960年代の高島平(「今昔マップ on the web」より)

    とはいえ、「農家さんが生業として営むものではない」田んぼならば、東京にも結構ありますよね。
    その中でも東京駅から一番近い田んぼといえば、新嘗祭で供えられる米を育てる、皇居内の水田でしょう。
    天皇陛下ご自身による田植え・稲刈りの様子は毎年ニュースになりますので、ご存知の方も多いでしょう。残念ながら直接見にいくことはできないので、ここは宮内庁による紹介ページへのリンクのみで失礼させていただきます。

    他にも、教育や研究、あるいはイベント目的で稲が育てられている田んぼは、東京にもいくつもあります。
    あの六本木アークヒルズの屋上にも田んぼはありますし、目黒区の駒場野公園にある、筑波大学付属駒場中学・高校の屋外実習で使われている「ケルネル田圃」などは、広くはありませんが里山の狭間にある水田にも似てなかなかに風情があります。
    私の住んでいる練馬区にも、光が丘の「秋の陽公園」に田んぼがあって、近隣の小学校の体験実習に使われています。練馬は台地上にあり畑作しかないイメージですが、ここは今は暗渠になった田柄川の川筋にあり、水を得やすいので昔は田んぼもあったようですね。

    今回は、これらの田んぼは除外して、やはり農家の生業として営まれている水田を探してみましょう。
    東京駅から一番近い田んぼ、どこにあるのでしょうか。

    探索編

    さて、どうやって水田を探しましょうか。
    航空写真で片っ端から探す? 気が遠くなるような作業ですし、そもそも上空からの画像では田んぼなのか畑なのか、あるいはただの空地なのか見分けがつきづらいですね。

    困ったときのGoogle先生。「東京 田んぼ」で検索してみたら、私と同じことを考えて、田んぼを探しに行った方が見つかりました。いやぁ、頼りになるなぁ(笑)

    東京縦横無尽 東京レトロ&ディープガイド

    こちらを参考にさせていただくことにいたしましょう。
    地図とブログの記載、Googleのストリートビューなどを照らし合わせて、紹介されている2か所の田んぼは、おそらく、

    1. 足立区扇1-23あたり
    2. 江戸川区篠崎町3-15あたり

    にあるのだろう、と見当がつきました。
    しかし、気になるのは、このブログが書かれたのが、1.は2009年、2.は2011年と、かなり前の情報であること。私の自宅の近所でも農地は次々に姿を消しています。これらの田んぼは今も残ってくれているでしょうか。
    それでは早速、見に行ってみましょう。

    訪問編1:足立区扇1-23 2019年8月16日

    東京はこの日まで23日連続真夏日。いやぁ暑いですね~。
    なにも夏の盛りに外の取材に行かなくても、と思わないでもないですが、田んぼに行くなら一面に広がる稲穂を撮りたいですよね。涼しくなってから…などと思っているうちに刈り入れが終わってしまったら、田んぼなのか畑なのか見分けづらくなりますし、何より写真を撮っても素敵な絵になりません。やっぱり今行くしかないのであります。気合を入れてまいりましょう。

    ところで、扇、とはちょっと印象的な地名ですね。何か歴史的な謂れでもあるのでしょうか。

    調べてみたところ、意外にその誕生は新しく1974年。古くからの地名を一掃してしまったことでも知られる「住居表示法」という法律で周辺の住居表示が整理された際に、新たに名づけられたものなんですね。ただ、この地域にある「扇小学校」の開校が1971年4月ですから、扇という名前が生まれたのはもう少し前のことのようです。

    Wikipediaで「扇(足立区)」を調べると、には「町域の北を町の要と考えると、町域が扇のように南へ広がっていることと、地域住民が扇のように今後ますます発展していくことを願う気持ちを込めて選ばれた」(2019年8月閲覧)と記載されていますが典拠は不明です。

    確かに、手元の古い地図を確かめると、扇という地名は無く、このあたりは「本木町」という名前だったようです。

    引用元:「東京都最新区分地図」(国際地学協会発行)発行時期は記載がないが、1963~1964年頃のものと推定

    古い地図には当然載っていませんが、今では旧本木町の真ん中を南北に「尾久橋通り」と「日暮里・舎人ライナー」が走り、「扇大橋」駅もできて便利なエリアになっています。いまはその扇大橋駅で降りて、ぶらぶら住宅街を歩いているところ。田んぼがあるという扇1-23までは歩いて5分ほどのはずです。

    駅近くはマンションや戸建て住宅、倉庫などが立ち並び、建物のない区画があってもたいていは駐車場。この先に田んぼがありそうな気配など全くありません。
    しかし、歩いていくと急に視界が開けて、生垣に囲まれた区画が現れました。これは…公園…?

    いや、敷地内の角に「生産緑地地区」の看板がありますね。中は木が植えられていますが、果樹園か何かでしょうか。
    私の家(練馬区)の近所にも「観光ぶどう園」とか「ブルーベリー摘み取り園」とかがあるのですが、ここ何十年かで急速に宅地化されたエリアには、昔からの農家さんが農地の一部を手放さずに、果物狩りなどが楽しめる観光農園を運営されているケースをよく見かけます。看板がないのでわかりませんが、ここもそうした体験型の果樹園かもしれませんね。

    その先、上の写真の左奥にちらっと見えている、隣の区画も低い生垣に囲まれています。上から覗いてみると…。

    見えたのは、元気に天を目指す稲穂の群れ。
    確かにありました。田んぼですね。

    黄金色の穂波を期待していたのですが、さすがにちょっと早かったですね。
    でも、東京に残る水田、間違いありません。

    1965年頃の地図を見ると(参考:今昔マップ on the web)このあたりにも田んぼがまだまだ残っていたようですが、今はもうここだけのようです。宅地開発が進むなか、農業用水を廃止せずにキープするだけでも大変なのではとも思いますが(井戸水かな?)、よくぞ今まで残っていたものです。

    1周200mほどの小さな区画をぐるりと回ってみます。
    近くの寺地小学校5年生による、お手製の看板が立てられています。
    かわいい注意書きに心が和みます。
    ん?ひょっとしてここも、農家の生業っていうよりは、子どもたちの体験農園…?

    後日、足立区のWebサイトに、寺地小学校5年生の皆さんによる稲刈り体験の様子が掲載されておりました。子どもたちがここで田植え・稲刈りを体験し、収穫した糯米は小学校の餅つきに使われるのだそうです。
    この記事で、農家さんが頑張って維持している田んぼだということはわかりましたが、やはり私が探し求めている「農家の生業として営まれている水田」といよりは、体験学習の場と理解したほうが良さそうですね。

    というわけで、今回は「発見ならず」。東京駅から一番近い「農家の生業として営まれている水田」、他をあたってみることにしましょう。

    訪問編2:江戸川区篠崎町3-15 2019年8月16日

    足立区扇の田んぼを訪問した同じ日の午後、電車を乗り継いで今度は江戸川区へとやってまいりました。
    最寄駅は都営地下鉄新宿線の篠崎駅。目指す篠崎町3-15は駅から1kmほど離れています。
    炎天下、目が回りそうですが、水分補給しつつ気合を入れてまいりましょう。

    篠崎駅周辺はオフィスビルや商業施設が立ち並んでいますが、少し歩けば住宅街となります。水田ではありませんが、ところどころ小さな農地が残っていますね。
    1965年頃の地図をチェックしてみますと(参考:今昔マップ on the web)先ほどの足立区扇よりもさらに広大な水田地帯だったことがわかります。おそらく住宅街になったのは比較的最近なのでしょう。

    汗を拭き拭き、駅から15分ほどで篠崎町3-15へとやってまいりました。さて、田んぼは…?

    田んぼ、ではありませんね…。
    先ほどご紹介した東京縦横無尽 東京レトロ&ディープガイドさんの写真と見比べてみましょう。

    2011年7月当時の様子。東京縦横無尽 東京レトロ&ディープガイドより引用させていただきました。

    うん、向こうに見えるマンション、右も左も一致しております。ということは、同じ場所から撮った写真で間違いありませんね。

    2011年には水田だったこの場所は、既に水田ではなくなっておりました。
    周辺を見て回りましたが、結局、水田は見つからず。残念。

    代わりに区民農園の看板が立っておりました。
    先ほどの足立区扇もそうでしたが、都会の農地は、農家の生業から、都会人たちの趣味の場、憩いの場へと次々に姿を変えていきます。これも時代ですね。

    というわけで、東京駅から一番近い「農家の生業として営まれている水田」、今回も発見ならず、でした。やれやれ。

    探索編ふたたび

    さてさて、東京23区内のたった2つの候補が空振りに終わってしまいました。
    実は、このような結果になるかもしれないな、ということは予想しておりました。練馬区に住んでいて、次々に農地が消えていくさまを日常生活のなかで目の当たりにしております。生業としての稲作、現実問題としていまの東京では難しいですよね。

    そんなわけで、23区外にある田んぼもあらかじめ探してあったのであります。
    早く言えって?ごめんなさいね。

    まずは、東京駅から一番近い「23区外」ってどこでしょう。
    これだけで1本記事を書けそうですが、それはまた次の機会に。
    東京駅起点の同心円を、少しずつ広げながら探してみましょう。

    こちらは「東京駅から11km」の同心円です。
    東の方を拡大してみると…。

    千葉県市川市の一部が、わずかに円にかかっていますね。
    Googleストリートビューで見てみましたが、マンション、倉庫、工場の並ぶエリアで田んぼは無さそうです。

    さて、この円の外側で、どうやって田んぼを探していきましょうか。
    効率的な探し方が思いつかないので、とっても地道なやり方になってしまいますが、地理院地図で、円を少しずつ大きくしていきながら、目視で田んぼの地図記号(||)を探していきましょう。

    地理院地図のキャプチャ画像に東京駅起点11km,12kmの同心円を加筆

    青い円が、先ほどの「東京駅から11km」の同心円。
    赤い円が、1km広げた「東京駅から12km」の同心円です。
    青線と赤線のあいだ、つまり東京駅から11km-12kmの間に、田んぼの地図記号があるか。
    ぐるっとひとまわり、目視確認してみましたが見つかりませんでした。

    12-13kmでも同じ方法で探してみましたが見つからず。
    14-15kmではどうでしょう。探していくと…。

    ありました!

    地理院地図のキャプチャ画像に加筆

    ちょっと見づらくてすみませんが、確かにここに「田んぼ」の記号があります。
    キョリ測によると、基準点から13.95kmの地点
    東京駅から一番近い「田んぼ」、発見です!

    …って、断言するのはちょっと早いかな?

    狭い田んぼだと、地理院地図に描かれていない可能性がありますよね。
    もうちょっと検証してみましょう。
    基準点からの距離、半径13.95kmの同心円を描きなおしてみます。

    この同心円内に市域がかかるのは、東側から反時計回りに浦安市、市川市、松戸市、八潮市、川口市、川崎市。このうち、

    • 浦安市の農地は、1979年以降「ゼロ」 ←千葉日報の記事より
    • 川崎市は多摩川の河川敷部分がぎりぎりかすっているだけで、ここに田んぼがないのは明らか

    なので除外してよさそうです。
    残りの市川、松戸、八潮、川口の4市について、同心円内のエリアに田んぼがないか確認してまいりましょう。

    さて、地理院地図に載っていないような小さな田んぼをどうやってさがしましょうか。
    ちょっと便利なツールを見つけました。

    eMAFF農地ナビ

    農林水産省が公開している「農業委員会等が農地法に基づき農地情報をインターネット上で公表するサイト」です。目的は「農地集積・集約化、規模拡大に向けたビジョン検討・分析」だそうですが、「この近くに田んぼってあるのかな~」的な単なる興味本位の調べものにもとっても便利です。

    先ほどの、松戸市の「田んぼ」の地図記号があるあたりを、eMAFF農地ナビで見てみましょう。
    「色分け」メニューで「地目」を選び、「絞り込み」メニューで「田」を選んだ結果がこちらです。

    eMAFF農地ナビのキャプチャ画像に同心円・矢印を加筆

    赤ポチが、eMAFF農地ナビに「田」として登録されている農地です。
    ここに、赤線で先ほどと同じ、半径13.95kmの同心円を書き込んでみました。
    同心円の左下側が同心円の内側、つまり東京駅に近い側になります。

    いくつか赤ポチがありますね。
    同心円から左下方向に離れるほど「東京駅に近い」ということですから、この地図内では矢印で示した田んぼが東京駅から一番近いということになります。

    さらにこのあと、市川市、松戸市、八潮市、川口市の、半径13.95kmの同心円内の全てのエリアをeMAFF農地ナビで目視確認しましたが、赤ポチは1つも見つかりませんでした。
    ということは、

    • 同心円内には、上の地図にある赤ポチ以外には「田んぼ」はない
    • その中でも矢印で示した赤ポチが、東京駅から一番近い(教育や研究、イベント目的等ではなく、農家の生業として営まれている)「田んぼ」である

    ということでよさそうですね。
    基準点から矢印の赤丸を場所までの距離をキョリ測で測りなおしまして…。

    【結論】東京駅から一番近い田んぼ

    • 基準点から13.87km 松戸市下矢切 「矢切の渡し」付近の田んぼ

    それでは改めまして、訪問レポートでございます。

    訪問編3:松戸市下矢切 2019年8月16日

    矢切と聞けば、いまだに1983年の大ヒット曲「矢切の渡し」が口をついて出てくる私です。
    昭和ですね~。

    関東のほとんどの渡船が姿を消すなか、江戸川の渡船である矢切の渡しはいまも現役です(あ、東京駅から一番近い「渡船」ってテーマで1つ書き起こせそうですね)。今回、目的の「東京駅から一番近い田んぼ」は、矢切の渡しの船着場(千葉県側)のすぐ近くですので、田んぼ訪問のついでに乗ってみることにしましょう。

    渡船は帰りの楽しみにとっておいて、行きは常磐線に乗って松戸に向かいます。
    もう10年以上前になりますが、仕事で松戸南部市場というところに何度か通ったことがございます。松戸駅で降りるのはそのとき以来でしょうか。

    松戸駅からはその名も「矢切の渡し」行きのバスが出ているのでこれを使って… といきたいところですが、このバスは土曜・休日のみの運行。残念ながら今日は平日です。平日は1つ手前の「矢切の渡し入口」が終点のバスしかありませんので、これに乗ってまいりましょう。

    常磐線に揺られつつ、スマホでバスの時刻を調べたところ、この電車が松戸に着く4分後にバスがあるようです。これを逃すとつぎのバスは30分後。久しぶりの松戸、ちょいとばかり街なかをぶらぶらしてみたいところですが、あきらめてバス停へ急ぎます。
    駅の西口へ出て、どの階段を下りれば「矢切の渡し入口」行きのバスに乗れるのかすぐにわからず焦りましたが、ふぅ~、なんとか発車ぎりぎりに間に合いました。

    終点まで2.5kmの短い路線、乗客は私を含め6名です。駅前の賑わいを抜け、江戸川の土手下を進むうちに1人、また1人と乗客が少なくなっていきます。住宅街を眺めつつ10分ほどバスに揺られ、徐々に農地が増えてきたなぁと思ったところで「矢切の渡し入口」終点に到着です。

    私のほか終点まで乗りとおしたお一人もすぐにどこかへ去り、人気(ひとけ)のないバス折り返し場でぽつんと1人取り残されたような状態となりました。
    このバス停、「矢切の渡し入口」という名前ですが、「入口」といってもちょっと距離があって、この先、渡船場までは江戸川の土手下の道を1kmほど歩いていかなければなりません。立っているだけでもじとーっと汗が滲んできますが、気合を入れてまいりましょう。

    矢切の渡しへと向かう道から眺める、見渡す限りのねぎ畑。
    背後の江戸川の対岸は、葛飾区の金町や柴又あたりのはず。住宅密集地から川ひとつ隔てただけなのに、これほど広大な農の風景が見られるのですね。
    残暑厳しいお盆明けではありますが、幸い先ほどから雲が出てきて風もあります。木蔭のない炎天下を歩かずに済むのはなによりです。

    15分ほど歩いて「矢切の渡し」バス停に到着です。
    土曜・休日ならここまでバスで来られたんですけどね。

    暑いなか歩いてきた身としては、「平日だってここまで来てくれればいいのに」と思わずにいられない、というのが正直なところです。
    でも実際に来てみると、周辺に人家はほんの数軒しかなくて、人の気配もほとんどありません。観光客の少ない平日にバスがここまで来ないのは、そりゃそうだよね、としか言いようがありませんな。

    目指す「東京駅から一番近い『田んぼ』」は、このバス停の先にあるはずです。
    探しに行ってみましょう。

    バス停先の水路。
    地図によると、この水路沿いに目的の田んぼがあるはずです。
    右側の家並みが途切れると…。

    ありました!
    これぞ求めていた風景。
    東京駅から一番近い「田んぼ」、到着です!

    いかにも中身が詰まっていそうな、ふくふくとした稲穂。
    慣用的に用いられるフレーズで、実るほど頭(こうべ)を垂るる… などというのがございますが、まさにその文字通りの実りですね。
    先ほど(同じ日の朝)行った足立区扇の田んぼの稲は、まだ稲の穂が立った状態でしたが、同じ東京近郊の田んぼでも様子が随分違うのですね。

    わざわざこの暑い時期を選んで東京駅から一番近い田んぼを訪れたのも、これを撮りたかったからに他なりません。もう少し涼しくなってから、などと躊躇していたのでは、すっかり刈り取りの済んだ土色の景色を撮ることになりかねませんからね。

    東京駅から一番近い田んぼは、周辺の開発が進む中にとり残された小さな田んぼだろうと勝手に想像していたのですが、思いがけず広々としていて、ちゃんとした農村の風景じゃないですか。
    変な言い方かもしれませんが、想像以上に「普通の」田んぼの風景です。

    稲穂の波を背景に、スカイライナーが走り去っていきました。
    もしここに駅ができたなら、このあたり一帯が住宅地に姿を変えるのも時間の問題でしょうが、現実に駅はございませんし、その計画も無いようですので、当分はこの景色が見られることでしょう。

    思い出話で恐縮ですが、私は三重県の鈴鹿というところに小学4年まで住んでおりまして、学校までの通学路(子供の足で30分)は田んぼの中を抜けていく道でした。
    その後はずっと都会暮らしですが、今回のように「田んぼを探しに行きたい!」という衝動に駆られるのは、何十年も前の遠い記憶に呼ばれているのかもしれません。揺れる稲穂は私にとっての原風景のひとつです。

    さて、田んぼの景色も堪能しましたし、そろそろ帰りましょうかね。
    帰路は楽しみにしていた「矢切の渡し」の渡船です。
    江戸川の土手を越えて渡船場へ向かいますが…。

    「強風のため休航」

    無情の掲示が。あぁ…。
    あれだけ稲穂が揺れていたんだから、そりゃそうですよね。

    さて、矢切の渡しが使えないとなると…。
    同じ道を帰るのは癪ですよね。せっかく近くを北総線(先ほどスカイライナーを見た線路)が走っているのですから、高架橋の上からこの田んぼを眺め返しつつ帰ることにしましょう。
    再び土手を越え、東京駅から一番近い「田んぼ」を横断して、向こうに見える緑の丘の先にあるはずの北総線「矢切駅」へと向かいます。

    田んぼの中、春や秋なら、誰もいないのをいいことに歌でもうたいながら気持ちよく歩くのでしょうが、何せ曇天とはいえ今日も真夏日、しかも楽しみにしていた矢切の渡しをあきらめて、とぼとぼと歩く畦道。先ほどは「広くて気持ちいい~」と思った田んぼの景色も、いざ向こうまで歩くとなると「なんでこんなに広いんだよぉ~」。矢切駅までたった2km弱なんですが、気持ちの糸が切れてしまったあとでは何ともヘビーな道のりです。

    広い農地帯を横断し、坂を上り、住宅地を抜けて、よろよろと矢切駅に到着。
    どっと疲れが。あぁ~。。。

    自販機でポカリスエットをいただきまして(沁みるぅ~!)地下のホームに降りると、タイミングよく羽田空港行きの電車がやってまいりました。ありがたいことに空いていたので、ただちに着席、ダメージを回復すべく目を閉じてうとうと。冷房車って偉大だ~!

    ん?何か忘れてない?

    あぁーっ!
    高架橋からの、東京駅から一番近い「田んぼ」の景色!

    時すでに遅し。電車は江戸川を渡り終え、窓の外は柴又の住宅地の風景でございました。
    快適な車内。次の駅で折り返… す気力もございません。
    何やってんだか。やれやれ。


    ということで、なんとも締まりのない終わり方になってしまいましたが、これにて東京駅から一番近い「田んぼ」のレポート、終了でございます。最後までお読みいただきありがとうございました。


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